★写真で見る奈良の西大寺★

真言律宗総本山「西大寺」

 西大寺伽藍案内図

 場所等はこちら⇒⇒⇒西大寺   編集;2010.09.14

***体性院***

 案内図の右下隅に書かれている西大寺奥の院『体性院』へ行ってみました。
 北門を出て、西へ・・・
(最初のT字路を北へ向かうと十五所神社がありますが)・・・
 真っ直ぐ行くと野上神社に出ます。
そのまま通り過ぎると右手側に小さな公園がありました。
 体性院に向かう途中にある公園にあった池です。
 西大寺の四王金堂に安置されている四天王を鋳造した工房跡だそうです。
 鋳物師池跡
 碑文 (鋳物師池のいわれ)
この緑地は、野神池(鋳物師池)を埋め立てて造られたものです。旧池は、南北約60米 東西約40米の規模をもち、古くから灌漑用に使われてきました。鎌倉時代の絵図に「奉鋳四天池」と記されており、西大寺の草創時に、重要な係わりをもつ金銅四天王像が鋳造された由来を示す地名といわれてきました。江戸時代の絵図にも「鋳物池」とか「鋳物師池」と記されています。昭和59年、奈良市が緑地整備に伴う発掘調査を行ったところ、奈良時代の土器とともに、炉体、ふいごの羽口鋳物屑などが発見され、奈良時代の鋳物工房跡と推定されました。以上のことから、鋳物師池の歴史的価値は高く、西大寺の草創や郷土史を考える上で、重要な意味をもつ遺跡と考えられます。 土井実 撰

 碑文を読んで、へ〜って感じ・・・わざわざ公園にして残しているんだ・・・
 
 そして北へ・・・
 形のいい南門から、きれいに整備された境内が見えます。
 体性院
 南門の正面に大きな五輪塔が・・・・・でっかいぞ!2段の基壇の上に建ってる・・・

 ・・・日本一大きいそうですヨ・・・

 西大寺中興の祖叡尊えいそん(興正菩薩こうしょうぼさつ)さんのもので、鎌倉時代に建てられたそうです。

 東側にも3基の五輪塔があります。(いずれも基壇に載った立派なものです)
 叡尊五輪塔 体性院本堂 体性院南門 体性院五輪塔

***西大寺の周りにある神社***

東門の正面にあるのが、石落神社です。
 奈良に多い見世棚造小社殿(正面に階段がなく、一面に床を張る)としては特に古いものです。
 東門 石落神社
 (石落神社の本殿の画像
 
 ↓↓北口通用門を出て、まっすぐ西へ行くと・・・野神神社↓↓です
 北口通用門 野神神社
 フェンスに囲まれて一段高い所にありますが、一見神社には見えないかもしれません。
野神堂が建っています(集会所みたいです。)

 祭神は、別雷神。でも・・・大正3年に十五所神社へ合祀されたそうな・・・ 

 北通用門を出て、最初のT字路を北へ向かうと・・・十五所神社です
 十五所神社
 小さな踏切を渡ったところにあります。 元は、西大寺の鎮守社だったようです。

 16神さまは(野神神社から別雷大神を迎えているので・・・15+1神)
 天照大神、八幡大神、春日大神、賀茂大神、松尾大神、住吉大神 白山大神、生野大神、
 広田大神、大原大神、熊野大神、小森大神、稲荷大神、布留大神、三十川大神、別雷大神です。
 十五所神社一の鳥居 十五所神社の境内社 十五所神社の稲荷社 十五所神社本殿
 
 
 西大寺の南門から西へまっすぐ行くと・・・(野神神社から少し南)に八幡神社があります
 八幡神社一の鳥居 八幡神社二の鳥居
 小さな橋が架かった鳥居が在り、こんもりとした林の中に細い参道が続いていきます。
 表の一の鳥居からは想像できないような立派な本殿ですヨ(国の重文)
八幡神社境内
 ここが西大寺の鎮守社か〜・・・
 中殿には、誉田別命ほんだわけのみこと(すなわち応神天皇)を祀り、
 右殿には神功皇后、左殿に神武天皇の母神・玉依姫命が祀られています。
 参道右手の境内社 境内社の杉高大明神 境内社の住吉神社 西大寺八幡神社の三社殿

***西大寺境内の神社など***

 謡曲百万古柳
 四王院の正面の池に古柳があります。

 むかし、念仏会の時にこの柳の辺りで、
百萬という女曲舞の子供が行方不明になってしまいますが、

 後日、嵯峨清涼寺大念仏会で再開できたという謡曲があるそうです。

 その子供は、清涼寺住職となった名僧「十遍上人」だそうです。

 


 四王金堂前の池畔に有る「荒神社」 南門近くの池畔に有る「清瀧権現社」
権現池の東畔に、桜本坊から献木された天武天皇夢見桜が有ります。
 
 
↓↓ 西塔跡付近には大きな緑色をした子育地蔵が立てられています
 子育地蔵 子育延命地蔵尊 興正菩薩堂 南門脇の観音霊場


***西大寺境内の塔頭寺院と堂宇***

 東門をくぐって、すぐ南側にある清浄院の門(左)と北側にある法寿院の門(右)
 清浄院 法寿院 
 清浄院の本尊は不動明王様、法寿院の本尊は阿弥陀如来様です。
 法寿院阿弥陀堂は江戸時代中期の建立だそうです。 
 

 
 四王金堂から西へ続く石畳の参道南側に「華蔵院」と「増長院」が並んでいます
山門が開けられ、金ぴかの仏様が迎えてくださいますよ
 華蔵院 増長院
 
華蔵院は室町時代後期に高珠和尚さんの建立だそうです。
増長院はいつごろか不明です。 
ともに、ご本尊は不動明王様です。
 
 
金堂(本堂)の西側に立派な「本坊」があります。
駐車場の西側にはお坊様方が道場として修行も行う「護国院」が有ります
 
 本坊 護国院
 
 
 東門から少し行くと四王院の四王金堂が目に付きますね。
 本堂の南門とは別に四王院の南門もあるんです。
 平安後期の木造十一面観音立像・奈良時代の創建当初唯一の銅像四天王立像(多聞天は木造です、踏みつけられている邪鬼は天平時代)(ともに国重文)が安置されています。
 四王金堂

 聚宝館は昭和36年に竣工され、重要文化財や遺品がたくさん展示されてます。
 塔本四仏坐像(重要文化財)が安置され、国宝の十二天画像・金銅透彫舎利塔・金銅宝塔・鉄宝塔・金光明最勝王経10巻・大昆ル遮那成仏神変加持教7巻等が収蔵されています。
 
 聚宝館 聚宝館
 
 
 護摩堂は、写真では解りませんが、左右の構えが違うそうです。
縁が正面と右側だけに設けられてます。
 この建物は、寛永元年(1624)の建立で、奈良市の文化財に指定されています。
 以前は、子育地蔵の場所に南向きに建てられていて、昭和54年に現在の場所に移されたそうです。
 護摩堂
 
 
 西大寺の鐘楼は、幕末か明治の初めごろに、摂津の多田院から移築された物だそうです。
奈良市指定の文化財です。 
 鐘楼 寺山大師堂
5月21日に寺山大師講大祭が行われます。
 
 
大黒堂には、永正元年(1504)に作られた木造大黒天坐像がいらっしゃいます。 大黒堂 光明殿
 西大寺の大茶盛式は、この光明殿で行われます。↑↑
 
 
 本堂は総板壁の造りで、土壁が無い珍しい建物です。
江戸時代の宝暦2年(1752)の建立で、光明真言堂とも言うんだそうです。
 本尊は木造釈迦如来坐像です。
 本尊の他に木造騎獅文殊菩薩・脇侍像(ともに国重文)等が安置されています。
素朴で、とても落ち着いた建物ですね。
 
金堂
本堂の裏に奈良市指定のケヤキの保存樹が有ります。
平成16年の指定当時の幹周は4.2m、高さ23.5mです。
 
 
 愛染堂は西国愛染明王霊場です。
京都御所・近衛政所御殿を移築した桃山時代の建造物だそうな。
 鎌倉時代の厨子入り愛染明王坐像・木造興正菩薩坐像・木造行基菩薩坐像(ともに国重文)が安置されています。
狩野派の絵師による襖絵も見事ですよ。
 愛染堂
愛染堂の右手前には興正菩薩御手植えの菩提樹があります。
 
 
 東塔は初め、八角七重塔として計画されましたが、途中で高さ46mの四角五重塔に変更されたんだそうです。
 延長6年(928)に雷によって西塔は焼失。
 建保6年(1218)に東塔は再建されているようですが、文亀2年(1502)の兵火で焼失してしまったようです。
 江戸時代には東塔跡に四間四面の堂が建立されていたそうです。
 現在の基壇は後世に補修されたものだそうです。
 
 東塔跡  東塔基壇
 
 
 元々の南大門はもう少し南東側にあったようです。
おそらく・・・仁王像がにらみを利かせるかなり大きな門だったのでしょうね。 
  
 
南門
 
御衣黄桜
南門の手前に御衣黄桜が植わっていて
 
毎年春に緑色の花を咲かせますよ・・・
 
満開の御衣黄桜
満開の御衣黄桜 posted by (C)寺もっちゃん
 
↓↓北西にあった薬師金堂跡には、「浄土院」が有ります。
 浄土院本堂 薬師堂
四王院南門のすぐ近くに薬師堂が建っています。↑↑
室町時代の薬師如来像がご本尊様です
 

 西大寺境内(奥の院境内も含む)は、国の史跡に指定されています。
 
 御詠歌:さりともと 西の大寺 頼むかな そなたの願ひ ともしかりしを
  宗 派:真言律宗総本山
  開 山:称徳天皇
  中興開山:興正菩薩叡尊
  創 建:天平宝字8年(764)
 

 

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