この緑地は、野神池(鋳物師池)を埋め立てて造られたものです。旧池は、南北約60米 東西約40米の規模をもち、古くから灌漑用に使われてきました。鎌倉時代の絵図に「奉鋳四天池」と記されており、西大寺の草創時に、重要な係わりをもつ金銅四天王像が鋳造された由来を示す地名といわれてきました。江戸時代の絵図にも「鋳物池」とか「鋳物師池」と記されています。昭和59年、奈良市が緑地整備に伴う発掘調査を行ったところ、奈良時代の土器とともに、炉体、ふいごの羽口鋳物屑などが発見され、奈良時代の鋳物工房跡と推定されました。以上のことから、鋳物師池の歴史的価値は高く、西大寺の草創や郷土史を考える上で、重要な意味をもつ遺跡と考えられます。 土井実 撰 |
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